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東京高等裁判所 昭和50年(行ケ)82号 判決 1978年5月02日

原告

富山化学工業株式会社

右代表者代表取締役

中野譲

右訴訟代理人

水田耕一

外二名

右原告補助参加人

帝国臓器製薬株式会社

右代表者代表取締役

山口栄一

右訴訟代理人

水田耕一

外二名

被告

ソシエテ・デチユーデ・シヤンテイフイツク・エ

アンデユストリエル・ドウ・リルードワーフランス

右代表者

ジエラール・ビユルトウ

右訴訟代理人

武田正彦

外三名

主文

原告の各請求を棄却する。

訴訟費用はいずれも原告の負担とする。

事実および理由

第一当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は昭和五〇年(行ケ)第八二号事件につき「特許庁が昭和五〇年四月三〇日同庁昭和四八年審判第六九七七号事件についてした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を、昭和五一年(行ケ)第二五号事件について「特許庁が昭和五〇年一二月一五日同庁昭和四八年審判第八四〇六号事件についてした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。

第二争のない事実

一特許庁における手続の経緯

被告が権利者である特許第五二八四三〇号「2―アルコキシー4―アセタミド―N―(第3アミノアルキル)ベンツアミドの製造法」(以下「本件特許A」という。)および特許第四七七九九三号「2―アルコキシー4―アミノー5―クロローN―(第3アミノアルキル)ベンツアミドの製造法(以下「本件特許B」という。)は、いずれも名称を「2―アルコキシーN(第3アミノアルキル)ベンツアミド置換体の製造法」として昭和三七年六月二一日に一九六一年七月二五日フランス国出願に基づく優先権を主張して出願された昭和三七年特許願第二五四六五号特許出願(以下「原出願」という。)の分割出願として昭和四〇年八月三一日に出願され、本件特許Aは昭和四三年九月三〇日に、本件特許Bは同四一年七月二六日にそれぞれ特許登録されたものである。

ところで原告は、昭和四八年九月二九日に本件特許Aに対し、同年一一月三〇日本件特許Bに対し、それぞれ無効審判の請求をし、本件特許Aについては昭和四八年審判第六九七七号事件、本件特許Bについては同年審判第八四〇六号事件として審理されたが、本件特許Aについては昭和五〇年四月三〇日付で本件特許Bについては昭和五〇年一二月一五日付で、いずれも「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は昭和五〇年六月一六日、昭和五一年一月二八日にそれぞれ原告に送達された。

二本件各特許発明の要旨

(一)  本件特許A<省略>

三審決理由の要点

(一)  昭和四八年審判第六九七七号(本件特許Aについて)

本件特許発明の要旨は前項(一)のとおりである。ところで、請求人(原告)が主張する無効事由はつぎのとおりである。

1 原出願に対して昭和三九年三月一三日拒絶査定がなされたが、その謄本は特許法第一九〇条で準用される民事訴訟法第一七二条の規定により書留郵便に付して送達されたから、民事訴訟法第一七三条により、その発送の時である昭和三九年三月三一日に送達されたものとみなされる。

2 前記拒絶査定に対する審判(以下「査定不服の審判」という。)の請求期間については、特許法第一二一条第一項に規定する期間が同法第四条第一項の規定にもとづき職権により二箇月延長されたので、昭和三九年六月三〇日がその末日であるところ、原出願の出願人(被請求人―被告)が同日までに査定不服の審判を請求しなかつたので、前記拒絶査定は同日の経過とともに確定した。したがつて、その後被告からなされた査定不服の審判の請求期間の延長を求める請求は無効である。

3 本件特許発明の出願は、前記拒絶査定の確定後にされているから、改正前の特許法第四四条第二項の規定により、同条第一項の規定による適法な分割出願とすることができず、同条第三項の規定の適用は受けられないので、その出願日は現実の出願日である昭和四〇年八月三一日である。

4 ところで、本件特許発明は、その出願前の昭和四〇年四月二二日に特許庁万国工業所有権資料館に受け入れられたベルギー国特許第六二〇五四三号明細書(以下「引用例」という。)に記載されたもの、またはその記載により当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法第二九条第一項第三号または同条第二項の規定に違反している。

そこで請求人主張の無効事由の当否について検討する。1についてみるのに、拒絶査定の謄本の送達は特許法第一九〇条により民事訴訟法第一六二条の規定によつて行われているから、同法第一六四条第一項により、その謄本が交付されたときに送達さたことになる。したがつて、謄本が被告に交付された昭和三九年四月一日に送達の効力を生じた。2についてみると、査定不服の審判の請求期間が職権により二箇月延長されたので、昭和三九年七月一日がその末日である。被告はその期間の末日に査定不服の審判の請求期間の延長を求める請求書を提出し、これによつて請求期間はさらに一箇月延長され、その末日は昭和三九年八月一日になつた。ところで、査定不服の審判請求は、前記期間内の同年七月三一日に適法になされ、その審判は現在もなお継続しているので、原出願の拒絶査定はなお確定していない。したがつて昭和四〇年八月三一日になされた本件特許発明の出願は、改正前の特許法第四四条第三項の規定の適用を受け、その出願日は原出願の出願日である昭和三七年六月二一日とみなされる。そうすると4の主張が成り立たないことは明かである。したがつて、本件特許を無効とすることはできない。

(二)  昭和四八年審判第八四〇六号(本件特許Bについて)

本件特許発明の要旨は前項(二)のとおりである。ところで、請求人(原告)が主張する無効事由はつぎのとおりである。

1 原出願に対する拒絶査定の謄本は特許法第一九〇条で準用される民事訴訟法第一七二条の規定によつて送達されたから、民事訴訟法第一七三条により、その発送の時である昭和三九年三月三一日に送達されたものとみなされる。

2 前記拒絶査定に対する審判(以下「査定不服の審判」という。)の請求期間の末日は昭和三九年六月三〇日であるところ、原出願の出願人(被請求人―被告)が同日までに査定不服の審判を請求しなかつたので、前記拒絶査定は同日の経過とともに確定した。したがつて、その後被告からなされた査定不服の審判の請求期間の延長を求める請求は無効である。

3 本件特許発明の出願は、前記拒絶査定の確定後にされているから、改正前の特許法第四四条第二項の規定により、同条第一項の規定による適法な分割出願とすることができず、同条第三項の規定の適用は受けられないので、その出願日は現実の出願日である昭和四〇年八月三一日である。

4 ところで、本件特許発明は、引用例に記載されたもの、またはその記載により当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法第二九条第一項第三号または同条第二項の規定に違反している。

そこで請求人主張の無効事由の当否について検討する。1についてみるのに、その拒絶査定の謄本の送達は原則どおり民事訴訟法第一六二条により行われたから、その謄本が被告に交付された昭和三九年四月一日に送達の効力を生じた。2についてみるのに査定不服審判の請求期間は職権による二箇月延長により昭和三九年七月一日が末日であつたから同日にその請求期間の延長を求めた被告の請求は有効であり、これによつて請求期間はさらに一箇月延長され、その末日は昭和三九年八月一日となつた。ところで、査定不服の審判請求は前記期間内の同年七月三一日に適法になされ、その審判は現在もなお継続しているので、原出願の拒絶査定はなお確定していない。したがつて昭和四〇年八月三一日なされた本件特許発明の出願は改正前の特許法第四四条第三項の規定の適用を受け、その出願日は原出願の出願日である昭和三七年六月二一日とみなされる。そうすると4の主張が成り立たないことは明かである。

したがつて、本件特許を無効とすることはできない。

四原出願の手続の経緯について

原出願に対して昭和三九年三月一三日拒絶査定がなされ、その謄本は査定不服審判の請求期間を二箇月延長する決定とともに昭和三九年三月三一日特許庁から書留郵便により発送された。なお、被告がこの拒絶査定に対する不服審判請求をしたのは昭和三九年七月三一日である。

五引用例について

引用例が特許庁万国工業所有権資料館に受け入れられたのは、昭和四〇年四月二二日であるが、ベルギー国特許として効力を生じたのは一九六二年(昭和三七年)八月一四日である。

第三争点

一原告の主張(審決取消事由)

本件各特許の原出願は査定不服の審判請求期間内に有効な審判請求がなされなかつたので拒絶査定が確定していた。したがつて本件各特許は分割出願としての扱いは受けられないから、出願日は現実に出願手続をした昭和四〇年八月三一日である。しかるに本件特許Aに対する審決(昭和四八年審判第六九七七号―本訴昭和五〇年(行ケ)第八二号事件の対象)および本件特許Bに対する審決(昭和四八年審判第八四〇六号―本訴昭和五一年(行ケ)第二五号事件の対象)は、いづれも、つぎのように、その出願日を昭和三七年六月二一日に遡るものと事実を誤り、引用例との比較検討による特許法第二九条該当有無の判断を脱漏した違法があり、取消されねばならない。

(一)  原出願の拒絶査定の謄本の送達は、郵便に付する送達であつて、発送の昭和三九年三月三一日即日送達の効力を生じている。その送達が民事訴訟法第一七二条準用による郵便に付する送達である根拠は、つぎのとおりである。

1 民事訴訟法第一六二条にもとずく郵便による送達は、郵便集配人を送達実施機関とするのであるから、送達事務取扱者たる「特許庁長官の指定する職員」から郵便集配人に対する送達の委任がなければならない。郵便法および郵便規則による特別送達の取扱がその委任の形式である。本件の拒絶査定謄本は単なる書留郵便により差出されたにすぎず、そうした方法による委任はないわけであるから、その送達は郵便による送達と解する余地はなく、郵便に付する送達とするほかはない。

2 審査に関する書類の送達について郵便による送達と、郵便に付する送達とのいずれの送達方法によるかは特許法の手続上自由裁量に属する事柄であり、本件拒絶査定謄本について特別送達の取扱がなされていない以上郵便に付する送達の方法によつて送達されたものとするほかない。なお、郵便に付する送達について送達証書の作成が必要であるとしても、送達の事実の証明については送達証書が唯一の方法ではなく、出願関係記録の原本上に発送の日付が押印されるほか、包袋上にも発送日の記入がされ、かつ送達事務取扱者の手許に書留郵便受領証が保存されているから、送達証書の作成に代る送達の事実の証明は確保されている。

(二)  そうすると、査定不服審判の請求期間は送達の効力を生じた翌日である昭和三九年四月一日から二ケ月の延長期間を加えて六月三〇日までであり、被告が期間延長の請求をしたのは、その期間経過後の同年七月一日であるから効力を生じない。また被告が拒絶査定に対する不服審判の請求をしたのは同年七月三一日であつて明かに期間経過後で効力を生ずる余地がなく、原出願に対する拒絶査定は確定したというほかない。したがつてまた、昭和四〇年八月三一日にされた本件各特許の出願は原出願の分割出願として改正前の特許法第四四条第三項の適用は受けられず、その出願日は同日といわねばならない。

しかるに審決は原出願の拒絶査定謄本の送達は民事訴訟法第一六二条による郵便による送達によつて行われたものとし、送達の効力が被告に交付された昭和三九年四月一日に生じ、査定不服審判の請求期間の末日が同年七月一日とし、請求期間の延長および査定不服の審判請求が期間内に有効になされたものとし、これを前提として本件各特許の出願が原出願の出願日に遡つてみなされるとした審決の判断は法令の解釈を誤り、ひいては事実を誤認したものである。

(三)  被告は原出願の拒絶査定謄本における注意書をとらえて行政不服審査法による教示であるとし、これによつて審判請求期間を論じているが、特許法第一九五条の三により拒絶査定に対する審判請求に関して行政不服審査法の適用は排除されており、これを論ずる余地はない。仮に行政不服審査法第一九条の類推適用があるとしても、その注意書は教示としても特許法第一二一条第一項の規定そのままであつて何ら誤つた教示ではない。そして郵便に付する送達によつたものである以上、謄本の送達があつた日とは、謄本の発送された日ということになるわけである。

二被告の答弁

原告の主張は否認する。本件各審決に事実認定の誤り、判断の脱漏はなく、何ら違法のかどはない。本件各特許の原出願は、適法な審判期間延長請求によつて延長された期間内に査定不服の審判請求が有効にされ、その審判は現在もなお継続しているので、原出願の拒絶査定はなお確定していない。したがつて、原出願の分割出願として出願された本件各特許は原出願の出願日である昭和三七年六月二一日に出願したものとみなされる。この前提にたつて、その出願日以後の文献である引用例についての原告の主張が成り立たないとした審決の判断は当然である。

(一)  原出願の拒絶査定の謄本の送達は、郵便による送達であつて、被告に到達交付された昭和三九年四月一日に送達の効力を生じている。その送達が郵便による送達である根拠は、つぎのとおりである。

1 特許法第一九〇条における民事訴訟法の送達に関する準用規定によれば、原則として郵便による送達によることと定められ、審査に関する書類の送達については書留郵便に付してこれを発送することができると規定し、この場合郵便による送達と郵便に付する送達のいずれによるかは一般的に裁量に委ねられている。しかしながら拒絶査定謄本のようにその送達が不服申立期間の始期となるような出願人の権利の得喪に重大な影響を及ぼす書類の送達は、裁量の余地がなく、郵便による送達によらねばならない。かような書類の送達を郵便に付する方法によつてなし得るとすれば、出願人が当該書類を知らない間に不服申立期間が終了してしまうという事態も生じ得ることになる。

2 郵便による送達について民事訴訟法は郵便法の定める特別送達によらねばならないことまでは定めていない。したがつて郵便集配人に対する委任は不要である。そもそも送達は受送達者に書類の内容を確実に了知させるとともに、書類がいつどこで誰に送達されたかを明確にして後日の紛争を防止することを目的とする。郵便法にいう特別送達によらなくても、書留の配達については配達後であつても配達の日時など交付の事実の証明を受けることができる。これによつて前記送達の目的は達せられるので、郵便法による特別送達の方法によらず、書留郵便によつたとしても、郵便による送達として違法なものということはできない。

3 特許庁における拒絶査定謄本送達の取扱いをみると、大正一〇年より現在まで一貫してこれを書留郵便で郵送しており、送達報告書は作成していない。送達が問題となつたときは郵便局に配達証明書を請求してこれを確認している。郵便が返送されたときは再度書留郵便で発送しており、それでも返送されたときは公示送達の方法によつている。審判請求の期間は到達の日を基準とし、その翌日から起算することとしている。

この取扱いに徴すれば、特許庁の送達事務取扱者は拒絶査定謄本の送達を郵便による送達とする意図のもとに郵便による送達として処理していることが明らかである。

4 仮に書留郵便により発送されていることを理由として送達事務取扱者が書留郵便に付する送達をしたものと認定されるとしても、拒絶査定謄本を郵便に付して送達することができるのは、郵便による送達が不可能である場合に限ると解すべきであるから、かかるる特段の事情のない本件においては、送達の方法を誤つたかしを有することになる。しかし、かようなかしは名宛人において拒絶査定謄本の送達であることを認識して受領する限り送達の効力には影響を及ぼさず、現実の受領のときをもつて送達の効力が発生するものと解すべきである。

(二)  そうすると、査定不服審判の請求期間は送達の効力を生じた翌日である昭和三九年四月二日から二箇月の延長期間を加えて七月一日までであり、被告が期間延長の請求をしたのは、その期間内の六月三〇日であり、かりに審決認定のように七月一日であるとしても期間内にされたのは明かである。したがつて被告の原出願の拒絶査定に対する不服審判請求も期間内に適法にされたもので、原出願に対する拒絶査定は確定しておらず、本件各特許の出願は分割出願として、原出願の出願日に遡る。

(三)  かりに原出願の拒絶査定の謄本の送達が郵便に付する送達であつたとしても、その拒絶査定謄本の裏面には、「この査定に不服のある者は、この謄本の送達があつた日から三〇日以内に特許庁に審判を請求することができる。」と印刷している。これは行政不服審査法第五七条第一項の教示にあたるから、これにより不服申立である審判請求の期間は、特許庁の定めにより、謄本を受領した翌日から起算すべく、謄本受領の翌日から三〇日以内に審判請求できる旨の教示であることが明かである。

したがつて、本件の書留郵便による郵送が、郵便に付する送達であるとすると、特許庁は法定の期間より長い期間を審査請求期間として教示したことになる。よつて原出願の審判請求が前記のように謄本受領の翌日から起算して三〇日以内にされている場合には、行政不服審査法第一九条、第一条第二項の適用により、法定期間内にされたものとみなされる。そうすると、結局被告の原出願の拒絶査定に対する不服審判請求は期間内に適法にされたことになり、本件各特許についての結論に変りはない。

なお、特許法第一九五条の三は、査定については行政不服審査法による不服申立をすることができないと定めているが、これは、査定に対する不服申立方法の種類を制限しているに過ぎず、不服申立の教示に関する諸規定の適用を排斥しているものではない。

第四証拠<省略>

第五裁判所の判断

一原出願に対する昭和三九年三月一三日付拒絶査定の謄本が査定不服審判の請求期間を二箇月延長する決定とともに、昭和三九年三月三一日特許庁から書留郵便によつて発送されたことは、当事者間に争いがない。本件の主たる争点は、この発送が、郵便に付する送達であるか、郵便による送達であるかにあるのでこの点について検討する。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

特許庁においては特許法第六三条第二項の拒絶査定謄本の送達は、出願人の権利に重大な影響があるので、民事訴訟法にいわゆる郵便に付する送達(発信主義)の制度がなかつた大正一〇年以降昭和三四年四月一三日法律第一二一号による特許法改正により審査に関する書類については郵便に付する送達をする途も開かれた後も現在に至るまで一貫して書留郵便で郵送する方法により実施しており、その際、書留郵便受領証という書面に受付郵便局である東京中央郵便局に引受確認の記載を受け、その旨拒絶査定原本および包袋(出願書類を保存する袋)の裏側にそれぞれその郵送年月日をスタンプ印で記録しているが、送達実施機関による送達報告書ないし送達証書は作成されていない。そして、手紙はがき郵便日数表によつて出願人が謄本を受領したと推定される日を送達日として取扱い、これによつて審判請求期間を起算しており、送達日が問題になつた時には郵便局の配達証明や事故証明により受領日の確認をしている。なお、郵便物が郵送中紛失の場合には郵便局からの亡失通知により再作成して発送し、また受取人不在によつて特許庁に返送されたときは、再度書留郵便により発送しており、再返送または転居先不明により返送されたときは、さらに特許法第一五一条によつて公示送達の方法により、官報と特許庁公報に掲載し、庁内の掲示板に掲示する処理をしている。本件拒絶査定謄本の送達も、その一連の処理方法における書留郵便の郵送の例にもれなかつた。

以上に認定した事実によれば、特許庁における拒絶査定謄本の送達は、従来から変るところなく民事訴訟法にいわゆる郵便による送達とする意図のもとになされ、謄本交付によつて送達が完了するものと取扱われており、送達報告書が作成されないなど処理手続の細部にわたつては必ずしも十分とはいいがたいところがあるけれども、送達(交付―受領)の証明方法への配慮が基本的には欠けていない点からみて、本件拒絶査定謄本の送達は、特許庁第一九〇条、民事訴訟法第一六二条、同第一六四条第一項にもとずくもので、郵便による送達として行われ、その謄本が受送達者に交付されたときに送達されたことになるというべきである。

原告は民事訴訟法第一六二条にもとずく郵便による送達は、送達事務取扱者である「特許庁長官の指定する職員」から郵便集配人に対する送達の委任がなければならず、その委任の形式である郵便法および郵便規則による特別送達の取扱いが必要であるところ、本件拒絶査定謄本の発送においては、そうした特別送達の取扱いがされていないので、郵便による送達とすることはできないと主張する。

しかしながら、民事訴訟法は郵便による送達は、送達を受けるべき者に送達書類の謄本を交付して行う旨定めているだけで、郵便法および郵便規則による特別送達の取扱によらなければならないことまでは規定していない。また、郵便法および郵便規則による特別送達の取扱のみが郵便集配人に対する送達の委任の形式であるとの規定も存在しない。したがつて、特別送達の取扱のみが郵便による送達の唯一の形式であると断ずることはできない。

もとより受送達者への書類の交付を確実にし、かつその事実の証明を容易にするという点で郵便法による特別送達の取扱が優れており、この取扱を採用することが望ましいことはいうまでもないが、書類の交付の確保、その証明の容易さの点において特別送達と同視し得る手段を講じてあれば、これを郵便による送達の実施手段とみてよいであろう。

そこで、郵便法による特別送達と特許庁の採用する書留郵便による郵送との差異を検討してみると、成立に争いのない甲第二四号証の一・二・三(郵政大臣官房文書課編集「郵政法規類集、郵便(2)」)に民事訴訟法、郵便法を考えあわせると、次の事実が認められる。

(1)  受取拒絶の場合、特別送達では差異ができるのに対し、書留郵便物では差出人に還付することになつている。しかし、受取人の転居先・所在不明のため交付できないときには、郵便物が差出人に還付される点では両者差異がない。

(2)  送達が完了したとき、特別送達では郵便集配人の送達報告書が裁判所に送られる。これに対して書留郵便物では郵便物配達証が配達郵便局に保存されるが、引受から配達までの記録が要求され、後日配達・交付の月日などについて証明を受けることとなつている。以上の差異を送達手続の本質から検討すれば、書類が交付・受領される者に確実に届くよう配慮されていること及びいつ交付・受領されたかが明確に証明されることについては、さしたる違いはなく、後日争いになつた場合の処理手続の拙速巧遅に検討すべき余地を残すにとどまるといえよう。そして前記認定のように特許庁における書留郵便受領証の引受記載、拒絶査定原本および包体上のその旨の年月日の記録は、不完全ながら送達報告書の欠如を補うものということができる。以上の諸点を考えあわせると、特許庁の採用している送達方法は、郵便法による特別送達に比して後日の証明の容易さ、正確さにおいて若干劣ることは否定できないが、全体としてほぼこれと同視してよい程度のものであり、したがつて民事訴訟法上の郵便による送達に該当するといつて差支えない。

二弁論の全趣旨によれば、昭和三九年三月三一日特許庁から書留郵便により発送された本件拒絶査定謄本が、査定不服審判の請求期間を二箇月延長する決定とともに翌四月一日被告に到達・交付されたことが認められ、この送達は前項認定のように郵便による送達であるから、同一日に送達の効力を生じたものであつて、査定不服審判の請求期間は、送達の効力を生じた翌日である昭和三九年四月二日から二箇月の延長期間を加えて七月一日までとなつたこととなる。

そして、<証拠>によれば、前記延長された期間内である同年七月一日に被告から審判請求期間を一箇月延長されたい旨の請求が適法になされ、同年八月一日まで一箇月間請求期間が延長されたことが認められる。

また、被告が本件拒絶査定に対する不服審判請求をしたのが昭和三九年七月三一日であることは当事者間に争いがないので、期間内に適法にされたことになり、原出願に対する拒絶査定は確定しておらず、したがつて当事者間に争いのない昭和四〇年八月三一日に原出願の分割出願として出願された本件各特許は、改正前の特許法第四四条第三項の適用により原出願日である昭和三七年六月二一日に出願されたものとみなされる。

そうすると、その出願日とされた日の後であることが明かである昭和四〇年四月二二日特許庁万国工業所有権資料館に受け入れられた引用例との比較検討による特許法第二九条該当有無の判断を脱漏したとする原告の取消事由の主張は採用するよしもない。

三<省略>

(古関敏正 舟本信光 石井彦壽)

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